2024年9月、XB-70バルキリー初飛行から60周年となりました。
XB-70バルキリー(Valkyrie)は、B-1Aランサーを経て、可変翼の戦略爆撃機B-1Bランサーにつながる超音速爆撃機として計画され、超音速試験機として2機だけ作られた機体です。
マッハ3超といえば世界最速のSR-71ブラックバードですが、大きく異なる外観など、なかなかに興味深く、好きな人にはたまらない魅力のある機体のようです。
ここでは、XB-70バルキリーについて、米国空軍とNATIONAL MUSEUM(米国空軍)のWebサイトからの情報を元に説明します。
超音速試験機になるとXB-70Aとなるようですが、ここではXB-70バルキリーとしています。
マッハ3の戦略爆撃機XB-70バルキリーとは
XB-70バルキリー(Valkyrie)は、マッハ3での高高度飛行が可能な戦略爆撃機として構想されましたが、事情により開発計画は中止となりました。
しかし、大型の超音速試験機として2機作られ、マッハ3を達成するだけでなく、様々な試験データやノウハウを得ることになり、その後のB-1Aランサーなどへといかされたようです。
下図は、XB-70バルキリーの写真です。
- 下図の写真では分かりにくいのですが、ジェットエンジンを6機並べた胴体にデルタ翼を組み合わせた機体形状です。
- デルタ翼尾両端は、ヒンジ式で折れ曲がります。
図1 XB-70バルキリー(Valkyrie)
出典:USAF(米国空軍)のWebサイト<Home > News > Photos>からの画像
XB-70バルキリーのコンセプト
戦略爆撃機XB-70バルキリーのコンセプトは、
より高く、より速く
でした。
1950年代の米国空軍の要求は、後継となるB-52よりも大幅にグレードアップしたもので、マッハ3を超え、高度70,000フィート(21,336m)を飛行できる新型爆撃機でした。
開発計画の中止と試験機としての運用
XB-70バルキリーの設計は、この要求を満足するものでしたが、1961年にこの革新的な新型爆撃機の計画は中止されています。
しかし、米国空軍は、超音速試験機としてXB-70バルキリーを2機発注し、1964年から1969年の間に129回の飛行試験を行っています。
- 初号機は83回、合計160時間16分飛行、2号機は46回、合計92時間22分飛行
この時の試験結果は、大型の超音速機に関する貴重なデータとノウハウを残すことになりました。
2機のマッハ3超の実績
XB-70バルキリー初号機は、マッハ3で飛行しました。(その後は、構造上の懸念からマッハ2.5までに制限されています。
XB-70バルキリー2号機は、マッハ3で何度も飛行しています。
- 2号機は、1966年に32分間のマッハ3で飛行しています。
写真で見るXB-70バルキリー
XB-70バルキリーを米国空軍とNASAのWebサイトの写真を使い説明します。
機体形状
下図は、XB-70バルキリーを前方から見た写真です。
- コンコルドに似たデザインだと思います。
図2-1 XB-70バルキリー:前方から
出典:AIR FORCE MATERIEL COMMAND(米国空軍)のWebサイト<Home > News > Photos>からの画像
下図は、XB-70バルキリーを上方から見た写真です。
- XB-70バルキリーのデルタ翼の両端が下向きに折れ曲がっていることが分かります。
- 機首左右の小さな補助翼(フロントウィング)を確認できます。
図2-2 XB-70バルキリー:上方から
出典:NASAのWebサイトからの画像
下図は、下方からみた写真です。
- 合計6基のエンジンが、並列に搭載されています。
- デルタ翼とエンジンとの位置関係が分かります。
図2-3 XB-70バルキリー:下方から
出典:AIR FORCE MATERIEL COMMAND(米国空軍)のWebサイト<Home > News > Photos>からの画像
主翼形状(デルタ翼)
XB-70バルキリーの外観上の大きな特徴がヒンジ式のデルタ翼です。
下図は、主翼が水平な状態の写真です。
- 機種からウィンドシールドにつながる部分が一直線になっていないことが分かります。ウィンドウ部分が車の様に立ち上がっているイメージです。
図3 XB-70バルキリー:デルタ翼(その1)
出典:NATIONAL MUSEUM(米国空軍)のWebサイト<HOME > UPCOMING > PHOTOS>からの画像
下図は、主翼が下向きに折れ曲がった状態です。
- 高速飛行時にこの形態になります。
- ウィンドシールドがせり上がり、機首から直線的につながっています。
図3 XB-70バルキリー:デルタ翼(その2)
出典:NATIONAL MUSEUM(米国空軍)のWebサイト<HOME > UPCOMING > PHOTOS>からの画像
離陸
下図は、離陸時の写真です。
- 左側の銀色の機体は、TB-58です。
- TB-58は、B-58をベースとした訓練機のプロトタイプで、マッハ2を出せるため試験中のXB-70ハスラーを追跡することができた。
図4 XB-70バルキリー:離陸(その1)
出典:NASAのWebサイトからの画像
下図は、日没時の離陸時の写真です。
- 日没時で6基のジェットエンジンの様子が分かります。
図4 XB-70バルキリー:離陸(その2)
出典:AIR FORCE MATERIEL COMMAND(米国空軍)のWebサイト<Home > News > Photos>からの画像
下図は、璃々育児の機体下方からの写真です。
- 薄いデルタ翼の下にある空気取入口から6基のエンジンとの関係が分かります。
図4 XB-70バルキリー:離陸(その3)
出典:USAF(米国空軍)のWebサイト<Home > News > Photos>からの画像
可動するキャノピー
XB-70バルキリーは、超音速飛行時には、キャノピーがせり上がる構造になっていました。
- ここでのキャノピーは、可動式の風防とタラップ(movable windshield and ramp)のことです。
図5 XB-70バルキリー:超音速飛行時のキャノピー(その1)
出典:NASAのWebサイトからの画像
下図は、機種部分の写真を比較したものです。
- 下側の図が超音速飛行時のキャノピーです。上側の図と比べると、せり上がっている様子が分かるかと思います。
図5 XB-70バルキリー:超音速飛行時のキャノピー(その2)
出典:NASAのWebサイトからの画像(加工しています。)
ドラッグシュート
下図は、ドラッグシュートを展開して減速している写真です。
図6 XB-70バルキリー:ドラッグシュート
出典:NASAのWebサイトからの画像
機体塗装のトラブル
下図は、機体の塗装が剥げた時の写真です。
- 機種株や尾翼などの白い塗装が汚れたように見えますが、これは高速飛行により塗装が剥げたためです。
- 塗装の問題は、より薄い塗装とすることで解決しています。
- 写真下の機体は、B-58Aです。
図7 XB-70バルキリー:塗装のトラブル
出典:NATIONAL MUSEUM(米国空軍)のWebサイト<HOME > UPCOMING > PHOTOS>からの画像
NASAでの試験飛行
下図は、NASAでの飛行試験の写真です。
図8 XB-70バルキリー:NASAでの飛行試験(その1)
出典:NASAのWebサイトからの画像
下図は、比較的高い高度で水平巡航している写真です。
- 空の色合いが暗いので比較的高い高度と考えられるようです。
図8 XB-70バルキリー:NASAでの飛行試験(その2)
出典:NASAのWebサイトからの画像
XB-70バルキリーの歴史
XB-70バルキリーの開発について説明します。
1950年代:構想
1950年代、XB-70バルキリーは、マッハ3で高高度を飛行する戦略爆撃機として構想されました。
1961年:XB-70バルキリーの開発中止
1960年代初頭、次のような背景によりバルキリーの開発が中止となりました。
- 新しいの地対空ミサイル(SAM)が高速・高高度爆撃機にとって脅威となった。
- ICBM(大陸間弾道ミサイル)の就役開始
なお、バルキリーの開発計画は中止となりましたが、米国空軍は、大型超音速機の空気力学、推進力などの試験のため、XB-70を2機購入することになりました。
1964年:超音速試験機として初飛行
XB-70バルキリー初号機が初飛行を行いました。
1965年:マッハ3達成
1965年10月、XB-70バルキリー初号機がマッハ3を達成しました。
2号機は、1965年に初飛行を行いました。(1966年事故により破壊)
1967年:NASAに譲渡
NASAに譲渡され超音速輸送機計画(SSTプログラム:National Supersonic Transport program)で使用されました。
1969年:博物館に寄贈
1969年2月にラスト・フライトを終えました。
The National Museum of the U.S. Air Forceに寄贈されました。
超音速試験機としてのXB-70バルキリーの成果
XB-70バルキリーは、様々な研究プログラムに使われ、貴重なテストデータを残し、その後の、B-1Aランサー、B-1Bランサーへとつながっていきます。
B-1AランサーとB-1Bランサーについては、以下の記事をご参照ください。
XB-70バルキリーの諸元
XB-70バルキリーの主要諸元は、USAF(米国空軍)のWebサイトの情報から下表に示します。
全長 | 56.6 m |
---|---|
全高 | 9.1 m |
全幅 | 32 m (主翼端が折れ曲がる) |
エンジン |
|
重量 | 242,535 kg |
最大離陸重量 | – kg |
最大搭載重量 | – kg(ペイロード) |
最高速度 | マッハ3.1(高度22,250m 3,308 kmh) |
高度 | 18,200 m |
航続距離 | 6,900 km |
燃料搭載容量 | – kg |
武装 | – |
乗員 | パイロット、副操縦士 |
参考リンク
この記事は、主に以下のWebサイトの情報をまとめています。
英文サイトを和訳していることと、私の理解した内容なので正確な情報は、以下の情報をご参照ください。
- USAF(米国空軍)のWebサイト
- NATIONAL MUSEUM(米国空軍)のWebサイト
まとめ
2024年9月、XB-70バルキリー初飛行から60周年となりました。
XB-70バルキリー(Valkyrie)は、B-1Aランサーを経て、可変翼の戦略爆撃機B-1Bランサーにつながる超音速爆撃機として計画され、超音速試験機として2機だけ作られた機体です。
世界最速のSR-71ブラックバードとはまた違った外観や構造をもつ機体です。
ここでは、XB-70バルキリーについて、以下の項目で説明しました。
- マッハ3の戦略爆撃機XB-70バルキリーとは
- XB-70バルキリーのコンセプト
- 開発計画の中止と試験機としての運用
- 2機のマッハ3超の実績
- 写真で見るXB-70バルキリー
- 機体形状
- 主翼形状(デルタ翼)
- 離陸
- 可動するキャノピー
- ドラッグシュート
- 機体塗装のトラブル
- NASAでの試験飛行
- XB-70バルキリーの歴史
- 1950年代:構想
- 1961年:XB-70バルキリーの開発中止
- 1964年:超音速試験機として初飛行
- 1965年:マッハ3達成
- 1967年:NASAに譲渡
- 1969年:博物館に寄贈
- 超音速試験機としてのXB-70バルキリーの成果
- XB-70バルキリーの諸元
- 参考リンク